2015年12月31日

2. ポンペイ遺跡 2015年12月23日

 エメラルドの洞窟を見物したあとはレストラン(Ceramiche Bar )でランチです。海が近いのでシーフード料理が主流なのか、サラダにはイカが入っていましたし、メインも魚のフライ。メインの前にパスタがでるところが、まさにイタリア風です。
 そこからポンペイ遺跡の入り口までは30分ほどでした。イタリア人のガイドさんが待っていました。
 ポンペイは紀元前1世紀頃にローマに物資を輸送する中継地として栄えた古代都市ですが、79年のヴェスヴィオ火山噴火により一夜にして死の灰に埋没してしまいました。火砕流や有毒ガスが、ポンペイの人々の命を次々と奪っていったのですが、町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存したのです。1748年に再発見され、発掘は今に至るまで続けられています。
 ここはパン屋だったとか、ここはお風呂だったとか。二千年前のローマ人たちの生きた生活の様子を伝える遺跡。そんなものが存在することが信じられません。 二千年前、わたしたち日本人はどういう生活をしていたのでしょう。歴史の教科書を読み返してみようと思いました。
 4時にポンペイを出てナポリに戻りましたが、繁華街に大きなクリスマスツリーのイルミネーションがありました。その近くのレストランで夕食です。前菜のあとは4人前ぐらいはあろうかというピザ。とても食べきれないと思ったのですが、ぺろりと平らげました。
 

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2015年12月30日

1.イタリアへ ナポリからアマルフィ海岸 2015年12月22日,23日

 2015年も押し詰まった12月22日、阪急旅行社のイタリアツアーに参加しました。今年は本当にいろいろなことがあり、この先の自分の人生についてもあれこれ考えているうちに、やりたかったことを早くやらないといけないという焦りにもにた思いが強くなったのです。フランスとスペインには行ったので、早くイタリアも見ておかなくてはと思い、今回は一人で参加しました。クリスマスを挟んでの6泊8日の旅。あっという間でしたが、見るもの聞くものすべてが新鮮で刺激に満ちて、忘れがたい時間になりました。その旅の様子を書いておきます。
 ルフトハンザで15時に羽田を発ち、フランクフルトで乗り換えてローマの空港に着いたのは日付が変わるころ。そこからバスで229kmを走り、ナポリのホテルに着いたのは朝の4時でした。SUITES AND RESIDENCE。外観はモーテルのようでしたが、中は立派でした。イタリアなので期待しないでと言われていた朝食も良かったです。ベッドに5時に入り、8時前に朝食をとって9時にはバスでホテルを出発。阪急旅行社ならではの強行日程ですが、こうでないとてんこ盛りの観光はこなせません。
 バスはナポリの街を抜けてアマルフィ海岸を目指します。車窓から見るナポリの街はゴチャゴチャして、汚い印象です。添乗員の内藤さんによれば、治安もあまりよろしくないとのこと。アマルフィ海岸はナポリから50km。ティレニア海に延びる半島で、温暖な気候がローマ帝国の時代から愛されてきたそうです。今回の旅では、繰り返し、ローマ時代からとか、ローマ時代のもの、というような話を聞くことになりました。二千年前のことって、ちょっと信じられないです。
 バスはポジターノに向かいます。やがて海が見えてきます。素晴らしい景観。断崖に白い家々が重なるように立っていてミハスを思い出させます。ガイドブックによれば、ポジターノは小説や映画の舞台になっているそうですが具体的には書いてないのでわかりません。映画といえば、日本人のぼくらには、織田裕二、天海祐希の「アマルフィ 女神の報酬」ですが、そのアマルフィの街までは行かないとのことでちょっと残念です。
 やがてバスは、エメラルドの洞窟、で止まりました。地殻変動でできた洞窟で、中には海と地下でつながった海水湖があります。太陽の光が差し込み海水面をエメラルド色に変化させる事からこの名前がついたそうです。

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2015年12月13日

ヘンデル メサイヤ 演奏会

 メサイヤの演奏会が終わりました。練習では余りうまくいっていなかったのに、本番では素晴らしい演奏だった、と思います。
 上原さんと松原さんのソロがとりわけ素晴らしかったし、結成間もないオケの皆さんの大健闘。それにぼくら合唱メンバーも助演の方に助けられたとはいえ、一番の出来でした。大学時代の友人をはじめ、コーラスをしている知人友人のみなさんからも、良かったと言ってもらい嬉しかったです。
 町田市民ホールは満席。ハレルヤと終曲のあとの割れんばかりの拍手と歓声。深い感動と充実感が残りました。


■出演
指揮:鹿又 透
ソプラノ:松原 有奈
アルト :栗林 朋子
テノール:上原 正敏
バリトン:畠山 茂
管弦楽 :町田シティオペラフィルハーモニー
合唱:混声合唱団 CANORA

■開演日 2015年12月13日(日)14:00開演(13:30開場)
■会場 町田市民ホール

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2015年10月21日

デジレ・ランカトーレに心奪われた夜

昨夜はイタリア文化会館主催のイベントに参加しました。「デジレ・ランカトーレに訊く 音楽とわたし(インタビュー:井内美香)」というもので、ぼくはあまりよく知らなかったのですが、来日中のプラハ国立歌劇場のプリマドンナです。
 ネットで経歴を見ますと、18歳でザルツブルク音楽祭の《フィガロの結婚》でデビューして、その後、スカラ座、英国ロイヤル・オペラ、ウィーン国立歌劇場、ローマ歌劇場など、数々の一流オペラハウスで歌って、その地位を不動なものとしたようです。今回はプラハ国立歌劇場とともに来日して、実は4日前に東京文化会館で、椿姫のビオレッタを演じたばかりでした。ぼくは見ていません。このあとは大阪と名古屋の公演だけなので、惜しいことをしたものです。 
 イタリア文化化会館に来るのも初めてでしたが、地下にりっぱなホールがあり、メディアで宣伝したわけでもないのに、たくさんの観客で八割かた席は埋まりました。七時から音楽ジャーナリストの井内美香氏とのトークでイベントは始まりました。途中で二曲、歌の披露があり、八時からはイタリア国営ラジオ放送Rai3の番組「ラ・バルカッチャ」の中継になりました。それが二十分ほどで終わったあと、観客からの質問に答えるやり取りもあり、最後にもう一曲歌ってくれて終了したのですが、その頃にはもうすっかりデジレのファンになっていました。
 トークが始まるやたいへんな親日家ということがわかりましたが、やはり嬉しいものです。まだイタリアに旅行したことがないので、イタリア人の女性が一般的にどういう感じなのかわかりませんが、デジレは気さくで明るく、誰にでも好かれそうな人柄に思えました。それでもオペラについて語った内容からは、たいへんによく勉強していることが窺え、高い知性の持ち主であることもわかりました。
 披露してくれた歌は椿姫から二曲とフランス語の歌が一曲。生でかつ間近で聞けたその三曲は、いずれもそれはもう素晴らしいものでした。
 ところでこのイベントは無料でした。すごいなと思ってフランスやドイツなどの在日大使館のサイトを見たのですが、このように立派なホールで一流音楽家の生演奏を無料で聞かせてくれるイタリア文化会館のような組織、施設を持っているところはありませんでした。イタリアという国が自国の文化や芸術をいかに誇らしく思っているのかわかります。これもまたひとつの国力なのだと思いました。

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2015年10月07日

カタルーニャの独立運動のこと

 旅から帰った十二日後、カタルーニャ州議会選挙がありました。ご存知の通り、分離独立派の政党が過半数を獲得しました。ただ独立賛成者数では、48%と過半数を下回ったのですが、州政府のマス首相は「独立を支持するわれわれと民主主義の勝利だ」と勝利を宣言をしました。
 スペインリーグを見ていたことは書きましたが、宿敵レアル・マドリードとの対戦ゲームは、決して負けることが許されない重圧の中での戦いなので、見ごたえのある激しいものになりスペイン中が熱狂します。バルサのホームスタジアムには「Catalonia is not Spain」という横断幕が掲げられているのですが、これまで実際に独立を支持しているのは35〜40%程度だと言われていました。それが今回48%とは独立を望む人が増えているということでしょう。
 今回の旅行でバルセロナには一泊しただけですが、アンダルシアやラ・マンチャとはまるで違う洗練された都会という印象を強く受けました。カタルーニャ州はGDPでスペインの20%を占め、経済は豊かです。地中海沿岸の温暖な気候に加え、ガウディの建築物など豊富な観光資源により観光産業が好調なので独立しても十分やっていけると考えている人が多いのでしょう。それにフランコ時代に弾圧された因縁も根深く中央政府への反発が強いのはまちがいありません。
 スペイン政府は、そもそも独立の是非を問う住民投票が違憲だとして反対しています。。議会も、規定順守を怠った政府当局者を辞職させたり罰金を科す権限を裁判所に与える措置を承認するなど独立阻止の動きを強めているそうです。でも中央政府や議会があまりに強硬な態度をとると、かえって独立支持派が増えるような気もします。
 スコットランド独立を問う選挙のときも思いましたが、こうした各国で独立運動を推進している人々は、独立してもEUに所属するから通貨もそのままeuroが使えるし、安全保障面の懸念もないと考えているのでしょう。でもギリシャ債務危機の問題に続き、難民問題でEU自体がたいへんな事態を迎えています。このような世界情勢を鑑みると、カタルーニャの人々には独立問題は慎重に考えてほしいと思ってしまいます。


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レコンキスタの歴史から学ぶべきこと

 阪急交通社のスペインツアーから帰国して三週間になろうとしています。印象が薄れないうちに旅の記録をブログにでも書いておこうと決めていたのですが、なかなか筆が進まないうちに時間が経ってしまい、脳裏に焼きついていた強烈な印象が薄れつつあります。ちょっと淋しく思いますが、八日間のツアーなのでこんなものなのでしょうか。
 二年前までテレビでスペインサッカーをずいぶん見ていたので、スペインにはフランコ時代に遡るマドリードとカタルーニャの対立があること、またそれだけはなく、バスク地方やアンダルシア地方などでもたいへんに地方意識、民族意識が強いことは知っていました。でもヨーロッパの中で歴史的にどのような存在だったかといったことはよく知りませんでした。
 今回は旅が始まるやすぐに、そして繰り返しレコンキスタの話を聞きました。トレド、コルドバ、グラナダの観光が続いたので、イベリア半島の歴史は、いわばキリスト教とイスラム教の戦いの歴史のように思えました。コルドバのユダヤ人街を歩きながら、レコンキスタが起こるまでは、キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒もここで共に暮らしていたことを聞きました。グラナダには多くのムスリムやユダヤ人が移り住み、彼らの貢献で経済的にも文化的にも街は繁栄しました。それがレコキスタにより、異教徒への改宗強要、略奪と追放、その果ての殺戮となっていきました。
 そしてまさに現代、アフリカや中東ではISやタリバンが台頭し、それによって弱小国家が破綻して膨大なな数の難民が生まれています。先進諸国はISに対応できておらず戦争拡大は避けられないでしょう。またパレスチナとイスラエルの紛争も再び激化しています。宗教は異教徒を認めないドグマとなり、あらゆるところで対立する意見や考え方を暴力で封じ込めようしています。
 人間はレコンキスタの歴史から学ぶべきことを何も学んでいない。そんなことを考えました。

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2015年09月13日

バルセロナの夜は更けて

 サクラダファミリアからまたバスに乗り、ランチを食べた海岸沿いのレストラン街に行きました。連れていかれたのは高級そうなレストランですが、時間が早いので店はガラ空きです。こんな時間に来るのはぼくらのようなツアー団体客だけのようです。著名人が来店した記念写真がたくさん壁に貼られてました。クリントン元大統領の写真まであったのですからかなりの有名店に違いありません。
 ワインを飲み、シーフードとサラダの最後の夕食です。食べ終えるころには、サクラダファミリアの夜景を見たあとはバルで一杯やりましょうと何人かで話がまとまりました。
 レストランをでてヒルトンホテルホテルにチェックイン。グラナダパレスよりもっと豪華なツインルームで嬉しくなりました。気分よくサクラダファミリアに繰り出します。バスを降り、嘆きのファサードの前から生誕のファサードへぐるっとまわりました。テレビや写真でみ見てもこの感じはわからないと思いました。
 道路を挟んで向かい側にあるガウディ広場に移動します。ライトアップされた全景がよく見渡せました。人気の撮影スポットのようでたくさん人がいました。
 そろそろいいですか、と添乗員さんに促され、我に返ります。時間を忘れていました。はい満足しました、とぼくは頷き、バスに向かいます。
 道沿いにバルが何軒も開いてましたが、どの店にもまだあまり人が入っていません。スペインの人たちは相当な宵っ張りなのでしょうか。
 ぼくらはホテルの近くにもバルやレストランがあると聞いていたので、そのままバスでヒルトンに戻りました。教えてもらった一角に並ぶバルやレストラン、ショップを眺めながら少し歩き、小綺麗な店に入りました。ビールにワイン、そしてタパスを何皿かとって、旅の話を肴に飲みます。美味しいワインと楽しいお喋りで心地よく酔が回ってきました。こうして最後の夜は過ぎていきました。


海辺のレストラン
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夜のサクラダ・ファミリア
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ヒルトンの近くのバル
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ヒルトンの部屋から
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いよいよサクラダ・ファミリアへ

 コロニア・グエルを出た後はモンジェックの丘に行きました。見晴らしがよくて緑が多い、また1992年バルセロナ・オリンピックのメイン会場となった施設や美術館なども点在しているので、市民の憩いの場になっているようです。この日は天気がよかったのでバルセロナの市街地がよく見渡せました。サクラダファミリアもわかります。家族連れや若者たちがたくさん来ていました。小一時間ほどいてサクラダ・ファミリアに向かいました。予約時間ぴったりでないと入れないので時間調整の意味もあったのでしょう。
 バスを降りて外観が視線に入ってくると一挙にテンションが上りました。なんとすごい建物なのでしょう。どうやってこんな巨大なものを建築できたのでしょう。1882年の着工です。ガウディは二代目の建築家で1983年から1926年までライフワークとして取り組みました。現在もなお建設が継続されていることは広く知られていますが、現在担当している建築家の方は九代目にあたるそうです。
 出入口はたくさんの観光客で溢れていました。この出入口がある西側ファサード(建築の正面・デザイン)はイエスの受難を表し、東側のファサードはイエスの誕生を表しているとのことです。近づくと壁面を飾る夥しい数の様々な彫刻が間近に見えてきます。そして教会の中では、中央の立派で厳かな祭壇、上部の大きなステンドグラス、天井の装飾、様々な彫刻に目が奪われます。
 ガウディは、このサクラダ・ファミリアをキリストの誕生と死を伝える「聖書」として人々に「読んで」ほしいと考えた、と聞きました。またこの教会がブルジョワのための教会であってはならず、貧しい人々のためのものでなければならないと考えていたということです。
 もともとガウディは宗教に関心が薄かったのですが、この建築に携わるなかで信仰心に目覚めていったと言われています。晩年は教会内の仕事場に寝泊まりして夜遅くまで仕事をする苦行僧のような暮らしだったといいます。そして路面電車に轢かれて死ぬのですが、その姿はとてもみすぼらしいものだったと言われています。このようなガウディの深い宗教心、執念、生き様がこうして見ているぼくらの心を激しく揺さぶるのではないか。そんなことを思いました。
 集合時間が近づいたので出入口をくぐって外にでました。夕食のあとまた戻ってライトアップされたサクラダ・ファミリアを眺めることになっています。


モンジェックの丘
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サクラダ・ファミリア
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バルセロナのコロニア・グエル

 予定通り7時半にホテルを出てバルセロナに向かいました。天気はよく、陽射しが強い。車窓から見えるのは、ひたすらオリーブの木と葡萄の木と、小麦や向日葵の畑地です。走り始めて一時間もしたころ、今日は日曜日で道路が空いている、お昼前にバルセロナに入れそうだ、と添乗員さんがほっとしたように言いました。いよいよ最後のバルセロナ観光なので、かなり時間を気にしていたようです。こちらは気をもむこともなく窓外の風景を楽しんでいればいいのですから、ほんとツアーは楽です。それにしても今回の旅は連日好天気に恵まれありがたかった。
 海辺のレストランに十二時前に着きました。地中海沿岸リゾート地は陽射しが強く、暑い。でも湿気がないのでカラッとしています。お店のウェイターはみんな服装が洒落ていて、仕草も垢抜けて見えます。田舎町からやってきた御上りさんのように、ぼくの視線に入ってくる風景はすべて眩しかった。
 ワインが注がれてほどなくタパス料理がでてきます。どのタパスもとても美味しい。ムール貝までありました。あとで添乗員さんから聞いたところでは、ムール貝まででるのは珍しいそうです。
 ランチのあとはコロニア・グエルの観光です。ガウディの造った有名な聖堂があるのです。何も事前知識はなかったのですが、「ガウディの生涯と建築作品」http://gaudi-architectural-work.com/という素晴らしいサイトを見つけて少し理解が深まりました。ここはエウセビ・グエルという実業家が繊維業を営む労働者たちのために造ったコロニー(共同体の意)なのです。グレルは1890年、サンツに所在していた繊維工場をここに移転します。当時バルセロナで勃発していた社会紛争から隔離するためでした。そして労働者が文化的に暮らせるように、教会、学校、医療機関など必要な施設を整備していきました。その一方でモダニズムを取り入れた建物も建築しようとし、1898年、聖堂建築をガウディに依頼したのです。
 ガウディは意気に感じて早々に設計にとりかかったようです。しかし完璧なアーチ型を築くための模型実験を果てしなく続けたので着工までに10年を要し、また1914年にはサグラダ・ファミリア以外の仕事を全て断ったので、結局この聖堂は未完成でした。戦時中に破壊されたので、これらはその後に復元されたものです。

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コロニア・グエル
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2015年09月12日

ラマンチャを経てバレンシアへ

 昼まえにアルハンブラ宮殿の観光を切り上げてバスに乗り込みました。これからラマンチャ地方を経由してバレンシアまで600Kmを走ります。
 ランチはラマンチャ地方のレストランで、ピストというシチューのようなものとチキンを煮込んだ料理を食べました。それから風車の町カンポ・デ・クリプターナに寄りました。小高い丘に十基の風車が立っています。でも風車はすべて観光のためのものだそうです。ラマンチャ地方はコルドバに行く途中、プエトル・ラピセという町にも寄っりましたが、いずれもドンキホーテで観光客を呼ぼうとしているようでした。
 ランチの後さらに400Kmを走ってバレンシアに着いたのは7時を過ぎていました。今日は半分移動日のようです。夕食はレストランでパエリアがでました。食べ終えてホテルへ。この日はホリデー・インでしたが、昨日のホテルが豪華だっただけに狭苦しく感じました。明日は7時半に出発してバルセロナへ向かうので夜の観光はありません。もう旅も終盤に近づいたのです。疲れていたのでバーで飲むこともなくいつの間にかベッドで爆睡してました。そんなわけでバレンシアは通過しただけになり、少し残念でした。

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ラ・マンチャのレストラン
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カンポ・デ・クリプターナ
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バレンシアのレストラン
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ラベル:ラ・マンチャ
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